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新庄の織物をひもとく【第二回 全国に残る「亀綾織」】

第一回では,亀綾織の名前の由来について資料を見てきましたね。

現在では「新庄亀綾織」というように,亀綾織という織物はあたかも新庄に特有の織物であると考えていましたが,調べてみると全国各地に「亀綾織」という織物は存在していたようです。


1. 明治期の内国勧業博覧会(第一回から第四回まで)の出品からみる
内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)は明治時代の日本で開催された博覧会である。国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、東京(上野)で3回、京都・大阪で各1回の計5回を政府主導で開催し、最後のが最も規模が大きい(Wikipediaから引用)。

画像はコトバンクより引用

この博覧会(第一回から第四回)で出品された「亀綾」という名称の織物の数は,確認できた範囲で山形県が13点,群馬県が7点,埼玉県が4点と山梨県が3点,秋田県・神奈川県・京都府が2点ずつあります。

<表;作成・4号>

このように,少なくとも明治時代においては,亀綾織という織物は全国的に作られていたものであることが分かります。


2. 内国博(内国勧業博覧会)+その他資料から考える

(ア) 新庄 

(イ) 鶴岡(・庄内)

(ウ) 京都・西陣

(エ) 群馬

(オ) 秋田

(カ) 福島・川俣

(キ) 山梨

(ク) 栃木

(ケ) 武州八王子(神奈川・東京)

(コ) 埼玉

(サ) 熊本

(シ) 仙台


(ア) 新庄 

大正時代の地理の教科書をはじめ,<新庄の亀綾織>という記述はたくさん残っています。新庄の織物は,藩政時代・文政期に盛んになったとされており,上州などから織師を招いて織物の指導を受け改良を行い,質の良い絹織物をさせていました。それを江戸藩邸を通じて売りさばいていたといいます。戊辰戦争を経て城下は消失しますが,明治に入ると授産場などを設立し,織物産業を復興していったという歴史があります。

明治10年からの内国博やその他の展覧会等、明治時代初期から中期にかけて、新庄の亀綾織は各地の展示会や資料に登場しています。(内国博において,新庄からは十日町の富樫イエ氏(第一回),新庄町堀長貫氏,波多野つね氏,金山村の大塲利邦氏(第四回)の出品に「亀綾」と確認できる。)

これらの記録から、その当時から新庄の亀綾織が注目されていたことが窺えます。

一方で、大正後期・昭和時代に入ると、その生産が衰退し、人々にも忘れ去られ,途絶えてしまったとの指摘もあります。新庄亀綾織は「幻の織物」とまで呼ばれていました。

昭和11年の新庄での聞き取り調査では,「亀綾織」の織り組織が図案化されて残されています。

新庄の亀綾織は、昭和40年の時点でも、生産が続いていたという記述もあります(個人で織っていた?)。


<参考:教科書や旅行本に載っている新庄(山形県)の亀綾織>

1. 明治7 羽前國の産物として「龜綾織」 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/762339/1/22

2. 明治22 織物は仙台平織・秋田畝織・新庄亀綾織・相馬縮織・南部紬・二本松紬・川股絹・白石紙布にして鹿角より木綿の茜染紫染を出せり https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/762420/1/44

3. 明治23 羽前國の物産「米産最豊に,之に□くは織物とす。即絲織(米澤織と云ふ),精好織,數寄屋織(以上諸織物置賜各郡),亀綾織(最上)等にして…」 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/762091/1/189

4. 明治30 新庄町(一、一〇〇〇)は戶澤氏の采邑たりし處龜綾織を產し殷賑の地なり城趾ありhttps://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1082797/1/150(1897)

5. 明治30 龜綾織及び陶器を以て名ある新庄 「帝国地理教科書」https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/762299/1/54

6. M36 新庄あり、龜綾織と称す透織を産す「最新日本地理教科書」https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/761969/1/56

7. 大正15 山形県 産物に羽二重・龜綾織がある。龜綾織は色糸で亀甲を細く織出したもので大そう奇麗である。https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/969984/1/129

8. 昭和13 「時局と郷土工藝に関する調査の必要」大西伍一

山形県新庄町の亀綾織の如く、明治初年には盛んであったが今は殆んど絶滅に瀕してゐて、世人の記憶に残っていないものもあれば…(1938)https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1552237/1/16

9. 産業・産物・名物として「亀綾織(新庄)」『昭和年鑑 昭和15年版』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1169341/1/179

10. 新庄;新庄盆地の中心…亀綾織・土瓶の産地,米殻・木材の集散地『表的日本地理 : 最新参考(S15)』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1438305/1/47

11. 「食習調査報告 尾崎千恵子」S40年10月6日~17日

『四條畷学園女子短期大学研究論集 (1)(1967)』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1784635/1/26


(イ) 鶴岡(・庄内)

鶴岡においても「亀綾織」を織り出していたということがわかります。内国博において、鶴岡からも多くの織物が出品されており、その中には「亀綾」と確認できる出品物が含まれていました。(鶴岡町から芳賀慶道氏,平田政直氏(第二回),八栄島村の日向三右衛門,鶴岡高畑町の平田政直氏,鶴岡町の伊藤岩吉氏(第四回)の出品に「亀綾」と確認できる。)

明治17年の新聞記事には、鶴岡町が「亀綾織」の生産地であることが明記されています。1951年発行の通商産業省繊維局監修の繊維辞典によれば、絹織物の一種である「亀綾」は、鶴岡地方が主産地のひとつと示されています。しかし、昭和年間にはすでにその織物の生産は終わっていたようです。


(ウ) 京都・西陣

西陣では、古くから「かめあや」が織られていました。『中等実用青年講座 前期(大正15)』によると,西陣織の起源について,「天正年間機舎を建て,龜綾織,柳條織を織り出したのを始めとし,爾後金襴,緞子(どんす),縮緬,天鵞絨(びろうど),羽二重の織出しが盛大となった」とあります。淡交社の原色染色辞典には,「天和年間(1681~1684)以来,西陣で織り始めた絹の綾織物を加女綾(亀綾)と称した」とあります。このように,京都は亀綾の起源に深くかかわっている地であるとも考えられます。

内国博や琴平山博覧会への「亀綾」の出品がある上に,明治期の西陣織物業組合の織元の分類でも「羽二重部・龜綾織」という表記が見られ,明治時代にも亀綾織が京都で織られていたことが分かります。その中でも「龜綾羽二重」と称される製品は、特に高品質であるとされています。さらに、『第五回内國勸業博覽會紀念染織鑑 染織標本 再版(1905)』には、京都市西陣で生産された「亀綾」の詳細が記されています。この織物は、精選された純絹練糸を用い、特有の技術により地紋が現れるように仕上げられたといいます。


(エ) 群馬県

群馬県は、古くから織物の産地として知られています。内国博では、「亀綾」の出品が多数見られ、その活躍が記録されています。明治12年の琴平山博覧会にも「亀綾龍紋」(上野國邑樂郡)の出品が見られます。

『桐生織物史 上巻』によれば、天明期(1781~1789)には足利郡粟谷村の金井繁之丞が「亀綾」を織っていたとされ、天保7年(1836)には新井澤二郎の亀綾織、天保10年には「自然亀綾」という記録が残っています。また、『桐生市史 上巻』には安永から天保頃の機屋の覚書にも亀綾織の記録があります。さらに、『群馬県史料集 第7巻 (小栗日記)』には、「纔梅花堂」の家計簿に嘉永三年に亀綾織の記録が見られます。このように、群馬では古くから亀綾織が盛んに生産されていたことがわかります。

また文政年間には、新庄藩に織り師として招かれた上州舘林初五郎や桐生吉十郎、長内三十郎らが知られています。


(オ) 秋田

秋田でも亀綾織の歴史や生産が見られます。『行誡上人全集(S17)』には、「秋田の伊勢氏より上人へ亀綾織を呈せしとき」との記述があります。これは、江戸後期に秋田で亀綾織が扱われていたということを示しています。また、明治内国博では、楢山長町の田中平八氏や秋田市大町の佐藤多吉氏などが亀綾の出品を行っています。さらに、『明治前期産業発達史資料 第7集 第2』によれば、第一回博覧会の出品解説において、秋田の田中平八の白畦織品として「亀綾」が紹介されています。


(カ) 福島・川俣

福島の川俣地域は古くからシルク産業で有名ですが,亀綾織も生産されていました。明治6年には京都から持ち込まれたハンカチーフや蝙蝠地の模様を川俣の機業家が織り出し、その中に龜綾織も伝わったとされています(『川俣町史 第1巻 (通史編)』)。『奥羽御巡幸明細日誌 第1-5号(明治9)』には、「川俣の亀綾」という記述があります。明治12年の琴平山博覧会においては,岩代國伊達郡川又村產の「亀綾」が出品されています。また、明治24年の調査によれば、川俣では平絹、窓掛、テーブル掛、絵絹、羽二重、ハンカチーフ、(中略)亀綾、紋絹など、さまざまな種類の織物が生産されていたとあります。


(キ) 山梨

山梨の金生村において、川井市右衛門氏が第一回内国博覧会で亀綾を出品していました。


(ク) 栃木

栃木県では、明治36年の内国勧業博覧会の案内において、「亀綾(、龍紋織)」が足利織の一種として紹介されていました。また、明治8年の栃木県治一覧表には、「亀綾 28疋 132.5円」と「亀綾龍紋 75疋 365円」という記録が残っています。また、文政年間には新庄藩が佐野から織り師を招いていたという記録もあります。


(ケ) 武州八王子(神奈川・東京)

① 中村半右エ門,八王子比企村から出品者不明(第一回)

② 輸出表の欄に鼻拭素練亀綾二種 武蔵國八王子(第一回)

③ 『明治十年内国勧業博覧会出品目録 1』において,輸出表の目録に「鼻拭素練龜綾二種武藏國八王子」の記述。

④ 『染織新報(59)(1896)』には,武州八王子地方で産出された絹織物は主に内地に仕向き,外国向には「只羽二重及び亀綾の二種あるのみにて」其れすら年をおって次第に衰退したとある。

⑤ (東京)日本橋區・千野七兵衛(第一回) ※呉服屋?


(コ) 埼玉

清水宗徳氏,入間郡川越の山本徳次郎氏,高麗郡廣瀬村の堀越伊八氏(第一回),神田弥三郎氏(第四回)の出品がある。琴平山博覧会においても,白亀綾織が入間郡廣瀬村から出されている。


(サ) 熊本

九州沖縄八県聯合共進会において,熊本県肥後国八代郡八代町の名川熊次が龜綾織で六等賞を受賞している。


(シ) 仙台

通商産業省繊維局監修の繊維辞典に,亀綾の主産地として鶴岡とともに紹介されている。また,東京帝室博物館の展覧会にて展示された収蔵品の亀綾が使用された小袖について,嘉永安政頃仙台藩主伊達齋邦に仕えたる遠藤かなが拜領したものと紹介がある。


3. その他

「亀綾織」の産地ではないですが,関連のありそうな資料を少し紹介します。

(ア) 紀州

『南紀徳川史(S7)』では,香厳公「延享4年初て紀州にて亀綾嶋を織出す 公儀への御献上以来折々御献上あり」とある。

(イ) 岩手・雫石

雫石の「亀甲織」は木綿のもじり織で,汗はじきとうい野良着として利用されていました。 


【コラム】「綾織」の起源 仲哀(ちょうあい)天皇

亀綾織の起源として「仲哀天皇の時代にさかのぼる」と紹介されているものがありましたが,綾織の起源の話と混ざっていたと思われるので整理しておきます。

仲哀天皇の時代(おそらく西暦200年頃)に新羅から綾が献上されたという記述があります。この綾の献上が日本で綾の織り方を始めた契機となりました。神功皇后の時代に新羅から帰国した織工が大和に配置され、綾の織り方が広まりました。
その後天和年間には京都で紋紗綾、綾唐織、加女綾、八反掛、柳條綾などの種類が製造されるようになりました。特に紋紗綾は檜垣に菊花の章を織ることから檜垣織とも呼ばれ、桐生に伝わりました。桐生では、石田九野花章の法を発明し、紋紗綾の技術が大きく進歩しました。桐生で生産される綾は、特に龍紋織として高い評価を受けています。

先ほど紹介した群馬の龍紋織というのは,亀綾織に近い織物だったのでしょうか。



ここまでお読みいただきありがとうございました。 明治時代における内国勧業博覧会やその他の展示会において、「亀綾織」は全国各地で広く生産されていたことが明らかになります。新庄を始めとする各地の歴史や技術、そして衰退した後のさまざまな歴史的背景やその産地同士のつながりが示唆されています。

また、亀綾織の起源やその産地以外でも、関連する資料や記録が残されています。

このように、亀綾織は単なる一地域の特産品ではなく、日本各地に根付いた歴史的な産業であったことが示唆されます。

同時に,新庄という土地に根ざした織物としての性質も持つ亀綾織について,次回以降も読み進めていきましょう🤠



参考資料
①	明治12年琴平山博覧会 info:ndljp/pid/801772
②	『第五回内国勧業博覧会重要物産案内(明治36年)』info:ndljp/pid/801988
③	新聞集成明治編年史 第5巻 https://dl.ndl.go.jp/pid/1265048/1/298
④	通商産業省繊維局監修の繊維辞典https://dl.ndl.go.jp/pid/2459171/1/177
⑤	『中等実用青年講座 前期(大正15)』info:ndljp/pid/942929
⑥	西陣史,1932  https://dl.ndl.go.jp/pid/1718250/1/89 
⑦	『第五回内國勸業博覽會紀念染織鑑 染織標本 再版(1905)』
⑧	『最上モデル定住圏における地域特産品開発に関する調査(1982)』
⑨	『桐生織物史 上巻』https://dl.ndl.go.jp/pid/1719595/1/167 
⑩	『桐生市史 上巻』info:ndljp/pid/3024325
⑪	『群馬県史料集 第7巻 (小栗日記)』info:ndljp/pid/2989052
⑫	『明治前期産業発達史資料 第7集 第2』(1962)https://dl.ndl.go.jp/pid/2468357/1/216 
⑬	『行誡上人全集(S17)』https://dl.ndl.go.jp/pid/1040624/1/423
⑭	『川俣町史 第1巻 (通史編)』)https://dl.ndl.go.jp/pid/9642498 
⑮	染織新報(59)
⑯	九州沖縄八県聯合共進会事務報告 第9回 https://dl.ndl.go.jp/pid/845368/1/106 
⑰	南紀徳川史 https://dl.ndl.go.jp/pid/1225285/1/5 
⑱	『工芸品叢書 織物之部(森本正太郎 編,明治35年)』https://dl.ndl.go.jp/pid/854126/1/25

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