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亀綾織の特性/Features

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01

手織りによる高度な織技術

​02

後練りによる独特の風合い

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復元した多様な織模様

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山形県新庄市の無形民俗文化財

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​手織りによる高度な織技術

繊維辞典(通商産業省繊維局)によると、「“亀綾”とは絹織物の一種で、ヨコ糸を強く打ち込んで紗綾(さや)形の綾を現した生織物。織上後糊落としをして精錬する」とある。また、原色染織辞典(淡交社)によれば、「天和年間(1681~1684)以来、西陣で織り始めた絹の綾織物を加女綾(亀綾)と称した」ことになっている。

 

斜文(綾)組織を基礎に、山形、菱形、昼夜、及び組み合わせによる変化組織を用いたかなり高度な織物であったことが知られる。

 

通常の平織りは、経糸1本と緯糸1本を交互に交差させて織るため、糸の組織が縦と横で構成されるが、亀綾織はどれも斜めに構成されている。これは、経糸と緯糸を交差させる際、その点が斜めになるように織る「斜文織(綾織)」の技法によるものである。交差させる経糸と緯糸はそれぞれ3本以上を用い、亀綾の中は数十本の組み合わせになっているものもある。地紋は足元の踏み木で踏み分けてつくるため、大変高度な織技術を要する。

 

これらの技術は、従来生産されていたであろう麻織物、綿織物、紬織物とは異なり、当然京都や桐生などという先進地からの技術導入による。

 

細い生糸で織り、大変強い力で打ち込むため、20〜30cm織り上げるのに早くても丸一日かかる。着物生地1反ともなると、計画から糸の糊付けなどの作業も経て、完成までは約4カ月ほどかかる。

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後練りによる独特の風合い

亀綾織の特性として、無撚り(よりのない糸)の生糸で製織していたことが挙げられる。
これは、後練り織物といわれるもので、絹糸に付着している膠質分(セリシン)をつけたまま製織し、織物になってから精練によりこれを除去すると言う方法をとっている。織上げ後の精練によって、経・緯糸はふっくらとした状態となって、一種独特な風合いと、光沢を持ち、見かけより軽い感じの織物が得られる。

織り上げた後に不純物を洗い落とす「精練」によって生み出される、しっとりとした風合いと気品ある光沢、しなやかな手触りが大きな特色である。 

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復元した多様な織模様

亀綾織は、最盛時には30数種類の織物が織り出されていたようであるが、現在、それらがどのような織物であったかを推測する手がかりが少なく断定することは出来ない。書物には、さやがた菱・あじろ織・甲亀織・八ツ橋織などの名が残っている。これらは、「織方(タテとヨコの組方、組織)の違いによる名称であったもの」のようである。

 

江戸文政の頃から新庄藩で特産品として奨励されたが、戊辰戦争による用具の消失により、一時途絶える。授産所を設けて復興されるも、明治末期には生産が途絶え、その後<幻の織物>と呼ばれていた。


1980年代に興った最上モデル定住圏の事業で、地元の特産品として「新庄亀綾織」は織り方の復元が試みられ、残布や織帳の研究から、「紗綾形(さやがた)」等10数種類が復元される。

現在、伝承協会では、大正期頃制作とみられる古文書を手掛かりに、新たな解釈を加えつつ、さらなる織り組織の復元を試みている。

 

またこれまで、亀綾織の生地を用いた小物を商品化してきたが、伝承協会発足直後から10名前後いた織手も、今現在は2名である。今後、スタッフを充実させ、織手が織りに専念できるようにし、一反ものの着物生地の受注生産を計画しており、予約も受け入れている。

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現在、「新庄亀綾織」は、山形県新庄市の無形民俗文化財に登録されている(令和2年登録)。

新庄に根付く特産品として、お土産、贈り物、ふるさと納税の返礼品などとしても喜ばれる。

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高度な織物技術の使用

繊維辞典(通商産業省繊維局)によると、「“亀綾”とは絹織物の一種で、ヨコ糸を強く打ち込んで紗綾(さや)形の綾を現した生織物。織上後糊落としをして精錬する」とある。また、原色染織辞典(淡交社)によれば、「天和年間(1681~1684)以来、西陣で織り始めた絹の綾織物を加女綾(亀綾)と称した」ことになっている。

 

斜文(綾)組織を基礎に、山形、菱形、昼夜、及び組み合わせによる変化組織を用いたかなり高度な織物であったことが知られる。

 

通常の平織りは、経糸1本と緯糸1本を交互に交差させて織るため、糸の組織が縦と横で構成されるが、亀綾織はどれも斜めに構成されている。これは、経糸と緯糸を交差させる際、その点が斜めになるように織る「斜文織(綾織)」の技法によるものである。交差させる経糸と緯糸はそれぞれ3本以上を用い、亀綾の中は数十本の組み合わせになっているものもある。地紋は足元の踏み木で踏み分けてつくるため、大変高度な織技術を要する。

 

これらの技術は、従来生産されていたであろう麻織物、綿織物、紬織物とは異なり、当然京都や桐生などという先進地からの技術導入による。

 

細い生糸で織り、大変強い力で打ち込むため、20〜30cm織り上げるのに早くても丸一日かかる。着物生地1反ともなると、計画から糸の糊付けなどの作業も経て、完成までは約4カ月ほどかかる。

後練りによる独特の風合い

亀綾織の特性として、無撚り(よりのないもの)の生糸で製織していたことが挙げられる。
これは、後練り織物といわれるもので、絹糸に付着している膠質分(セリシン)をつけたまま製織し、織物になってから精練によりこれを除去すると言う方法をとっている。織上げ後の精練によって、経・緯糸はふっくらとした状態となって、一種独特な風合いと、光沢を持ち、見かけより軽い感じの織物が得られる。

織り上げた後に不純物を洗い落とす「精練」によって生み出される、しっとりとした風合いと気品ある光沢、しなやかな手触りが大きな特色である。 
 

復元した多様な織模様

亀綾織は、最盛時には30数種類の織物が織り出されていたようであるが、現在、それらがどのような織物であったかを推測する手がかりが少なく断定することは出来ない。書物には、さやがた菱・あじろ織・甲亀織・八ツ橋織などの名が残っている。これらは、「織方(タテとヨコの組方、組織)の違いによる名称であったもの」のようである。

 

江戸文政の頃から新庄藩で特産品として奨励されたが、戊辰戦争による用具の消失により、一時途絶える。授産所を設けて復興されるも、明治末期には生産が途絶え、その後<幻の織物>と呼ばれていた。


1980年代に興った最上モデル定住圏の事業で、地元の特産品として「新庄亀綾織」は織り方の復元が試みられ、残布や織帳の研究から、「紗綾形(さやがた)」等10数種類が復元される。

現在、伝承協会では、大正期頃制作とみられる古文書を手掛かりに、新たな解釈を加えつつ、さらなる織り組織の復元を試みている。

 

またこれまで、亀綾織の生地を用いた小物を商品化してきたが、伝承協会発足直後から10名前後いた織手も、今現在は2名である。今後、スタッフを充実させ、織手が織りに専念できるようにし、一反ものの着物生地の受注生産を計画しており、予約も受け入れている。

山形県新庄市の無形民俗文化財

現在、「新庄亀綾織」は、山形県新庄市の無形民俗文化財に登録されている(令和2年登録)。

新庄に根付く特産品として、お土産、贈り物、ふるさと納税の返礼品などとしても喜ばれる。

上の画像クリックで製品紹介ページへ飛びます。

参考文献:

「最上モデル定住圏における地域特産の開発に関する調査-モデル定住圏の推進支援調査報告書-」(1982,山形県企画調整部)
​また
他資料より応用編集

​『 新庄亀綾織 』の特性

 繊維辞典(通商産業省繊維局)によると、「“亀綾”とは絹織物の一種で、ヨコ糸を強く打ち込んで紗綾(さや)形の綾を現した生織物。織上後糊落としをして精錬する」とある。また、原色染織辞典(淡交社)によれば、「天和年間(1681~1684)以来、西陣で織り始めた絹の綾織物を加女綾(亀綾)と称した」ことになっている。

 以上の説明は、新庄市立図書館に所蔵されている亀綾端切れの分析調査結果とも一致し、「郷土工芸に関する研究報告」(昭和11年9月大日本聯合青年団郷土資料陳列初刊)やその他の資料とも考え合わせると、斜文(綾)組織を基礎に、山形、菱形、昼夜、及び組み合わせによる変化組織を用いたかなり高度な織物であったことが知られる。

 これらの技術は、従来生産されていたのであろう麻織物、綿織物、紬織物とは異なり、当然先進地からの技術導入によったわけであるが、なかでも最も進んだ技術が三十三観音を織り出した紋織物であった。

 織技術として綾織は、すくなくとも、タテ、ヨコともに、3本以上の組み合わせによって出来ており、亀綾の中は数十本の組み合わせになっているものもある。更に、本亀綾織の特性として、無撚りの生糸を使用していたことが挙げられる。これは、後練り織物といわれるもので、絹糸に付着している膠質分をつけたまま製織し、織物になってから精錬により膠質分を除去すると言う方法をとっている。これによると織上げ後の精錬によって、経・緯糸はふっくらとした状態となって、一種独特な風合いと、光沢を持ち、見かけより軽い感じの織物が得られる。

 最盛時には30数種類の織物が織り出されていたようであるが、現在、それらがどのような織物であったかを推測する手がかりが少なく断定することは出来ないが、多分、織方(タテとヨコの組方、組織)の違いによる名称であったもののようである。

 

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以上「最上モデル定住圏における地域特産の開発に関する調査-モデル定住圏の推進支援調査報告書-」(1982山形県企画調整部)  他資料より応用編集

 現在復元された亀綾織の特性は、正しく上記の通りである。亀綾織の大きな特色の一つは、織り上げたものをじっくり煮て、不純物を洗い落とす「精錬」によって生み出される、しっとりとした風合いと気品ある光沢、しなやかな手触りである。もう一つの大きな特色は、きめ細やかで多彩な地紋である「斜文織(綾織)」という独特の織り方である。通常の平織りは、経糸1本と緯糸1本を交互に交差させて織るため、糸の組織が縦と横で構成されるが、亀綾織はどれも斜めに構成されている。これは、経糸と緯糸を交差させる際、その点が斜めになるように織る「斜文織(綾織)」の技法によるものである。しかも、交差させる経糸と緯糸はそれぞれ3本以上を用い、地紋は足元の踏み木で踏み分けてつくるため、大変高度な織技術を要する。

 細い絹糸で織り、大変きめ細やかな作業が必要なため、10cm織り上げるのに早くても丸一日かかり、着物生地1反ともなると1年から1年半ほどかかる。これまで、亀綾織の生地を用いた小物を商品化してきたが、伝承協会発足直後から10名前後いた織手も、今現在は4名であり、小物商品の製作や「機織り長屋」の運営も兼ねていることから織りに専念できないでいる。今後、スタッフを充実させ、織手が織りに専念できるようにし、一反ものの着物生地の受注生産を計画しており、予約も受け入れている。

 なお、伝承協会ではこれまでに、人手不足から機械織も試みているが、本来の新庄亀綾織の大きな特色である風合いが手織りとは大きく異なり、機械織の限界と高度な手織り技術の素晴らしさを実感させてくれる。

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