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新庄の織物をひもとく【第一回:新庄亀綾織の名前の謎に迫る】

はじめまして、新庄亀綾織伝承協会の見習い織子4号です。山形県新庄市の地域おこし協力隊として着任して半年、織技術の習得に励みながら、新庄亀綾織の歴史について探求しています。


この度、「新庄の織物をひもとく」と題して、新庄亀綾織を主題に全10回のブログを書いてみようと思い立ちました。

集めた情報の整理も兼ねて、まとめた資料をテーマごとに書き残していきます。


記念すべき第一回は、新庄亀綾織という名前の由来についてご紹介します。

なぜ新庄の織物に「亀」という名前が付けられたのか、その謎を解き明かしていきましょう。


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亀綾織の由来についてはいくつか説があります。

この記事では,4つの通説と私見を,資料を引用しながら順番に紹介していきます。


(ア)   亀甲模様を織りなしたから

まず,一つ目の説では、織物の模様が「亀甲」に似ていることから、「亀綾織」と名付けられたとされています。これは最も有力な説でしょう。この説に基づく資料を見てみましょう。

‐旧『新庄市史』では,「長内三十郎が亀甲型をなす綾織を作りだした。綾織には種類多く,畝織,八つ橋織,紗綾織等後には数十種に及んでいるが,一般に亀綾織の名で呼ばれている。」とある。
‐『織物秘伝書(西原,明治28年)』には,「亀綾織は,此アヤを用ゐて,亀紋(かめあや)を織創めたるより出でたる名なれども,啻(ただ)に亀紋のみならず,種々の紋形をも織ることを得,是は皆足のふみ方より起こるものなり。」と説明されている。 
‐亀綾は,白地平組織の練織物で、緯糸よこいとの打ち込みを強くし、織り上げ後湯の中で揉むと、経緯たてぬきの収縮の度合が異なって、表面に亀甲風の綾文に見える皺が現れるもの。(広辞苑より)

 

(イ)   「加女綾(かめあや)」が語源

また,京都で織り始められたという「加女綾(かめあや)」が語源であるという説も有力です。

‐『最上モデル定住圏における地域特産品開発に関する調査(1982)』によると,淡交社の原色染色辞典には,「天和年間(1681~1684)以来,西陣で織り始めた絹の綾織物を加女綾(亀綾)と称した」とされている。
‐『工芸品叢書 織物之部(明治35年)』では,「綾」の項に「天和年間京師<ママ>に於て紋紗綾,綾唐織,加女綾,八反掛,柳條綾の種類を製出す」とある。

一方で,亀綾織は紗綾形と呼ばれる織模様を織りなしたものであるという記述も見られます。

- 宮下氏(昭和56年)の調査では、繊維辞典に「紗綾(さや)形の綾を現した生織物」と記されていることが確認される。さらに原色染織辞典にも「亀綾織」について「紗綾形が現れる」と記載されている。




(ウ)   新庄藩主の幼名に亀の字が使われたことから

次の説では、新庄藩主の幼名に亀の字が使われていたことから、「亀綾織」という名前が付けられたとされています。これについては,『新庄市史資料編(上)』に,8代藩主・正親が子供の頃「亀松」と名乗っていたという記録があり,関連が見られます。

‐亀綾織という呼称は,織りが綾織でその織り目が亀甲に見えるためとも,また戸沢藩の藩主の御名前に亀の字があることから,戸沢藩の貢献物という意味で,亀綾織という呼称が付いたと言われる。『東北生活文化論文集4(1985)』

(エ)   「亀綾縞」「かめやじま」

「亀綾織」の語源に関連すると思われる織物には、「亀綾縞」「かめやじま」という言葉もあります。これらも新庄亀綾織の由来を理解する上で重要となるでしょう。

‐緯糸で紗綾形さやがたの文を斜文組織で織り出した生織物。織り上げ後精練して用いる。かめあやじま。かめやじま。(広辞苑より「亀綾」)
‐亀綾〘名〙 =かめやじま(亀綾縞)亀綾縞,亀屋縞〘名〙 (「かめあやじま(亀綾縞)」の変化した語) 菱形亀甲模様をきめこまかく織り出した綾織の白羽二重(しろはぶたえ)。または、種々の色糸を入れて女模様に織ったもの。一説に、当時亀屋などという織元か呉服屋から新たに売り出された格子縞などの縞柄の名称。かめやおり。かめや。〔俳諧・毛吹草(1638)〕(コトバンクより)

ここでは羽二重という記述があります。羽二重とは平織りの織り組織をもつ織物で,綾織(斜文織)である現在の新庄亀綾織と製法も異なるので違う織物であったと考えられます。

‐羽二重の本亀綾というは,羽二重を手揉にして綾を出したもので,鳥渡飛び離れたる品(中略)着具合もよく皴にもならず『流行(11)』(1900)
‐『万金産業袋』において「煉の上糸で織った羽二重。地光り染つやもよい。嶋もよういろいろ,紅,紫,もへぎなど入れて,多くは女もように織る。地光艶やかなる事尤上品也,全體だてもようのみ多し。」と紹介されている。
‐亀綾 絹織物,緯糸の打込みを強くした平組織の練織物で織上げ後温湯中で揉んで表面に波紋を作り綾織物のような外観を呈したもの。『風俗 : 日本風俗史学会会誌 28(3)(100)』(1989)

 

ただ,口伝書を解読している<見習い織り子2号>の話を聞くと,新庄亀綾織も定(さだ)を入れることでしぼのようなものは出ると予想できるそうなので同定できないこともない…ですね。このあたりの話はまた別の回に。


<かめやじま/かめあやじまに関する記述>

「かめやじま」は「亀綾」という単語よりも古い資料に見ることができます。

‐1684年(貞享1)刊,井原西鶴の『好色二代男』にて,ただものに見えない女が来ていた「昔はやった亀屋縞」という記述がある。
‐享保の改革下において極端な奢侈の風俗が禁ぜられた元禄から化政の天明風俗において,「細かい亀屋縞に唐絹の美しい裏をつけると云ふ類の如くに、壓迫せられた變通に陥らない所に頼もしい面白味がある(染織時報(322),1913)。」などとある。
‐さらに,「亀綾縞」の衣装が江戸庶民に流行し,江戸中期に至っては高級な織物として巷間に喧伝されるのであるが,「すでに江戸初期において,この模様が茶湯の場に採用されていた」とある。(『風俗:日本風俗史学会会誌 23(4)(81)』(1984)
‐『南紀徳川史(S7)』では,香厳公「延享4年(1747)初て紀州にて亀綾嶋を織出す 公儀への御献上以来折々御献上あり」とある。

(蛇足)亀棲山長泉寺?龜割山?甲橘?

これはあくまで筆者の飛躍した推理でしかないのですが,新庄亀綾織の歴史や名前の由来に興味深い関連性がある地名や人物もあります。これらも新庄亀綾織の謎解きに一役買ってくれるかもしれません。


‐亀棲山長泉寺
→『新庄市史』によると,長泉寺(曹洞宗)は,もともと沼田城の西の丸御蔵屋敷辺にあり,政盛の城地拡張工事によって現在地に移されたといいます。大亀が棲む沼田にあったために,山号を亀棲山(きせいざん)としたようです。
‐龜割山→亀割山は、新庄市と最上町との境界に位置する山です。その昔、源義経一行が平泉へ逃げのびる際に通ったのが、この山を越える亀割峠だったとの言い伝えが残っており、周辺には、この伝承に由来する「弁慶の投げ松」や「義経弁慶の硯石」等の見所もあります。https://yamagatayama.com/hyakumeizan/no-037/ 
‐金田甲橘(こうきつ)(1894-1936)→明治21年頃開設の好間三郎左衛門邸産業場の主任として名前が記されています。また第二回内国勧業博覧会(明治14年)と第四回内国勧業博覧会(明治28年)に綾織の出品があるので,新庄の織物業に深く携わっていた人物といえるでしょう。市史には,馬産振興者として名が残っています。https://www.tozawa400.com/index.php/historical_people/03    

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いかがでしたでしょうか。

新庄亀綾織の名前には、亀甲模様や加女綾,新庄藩主の幼名に語源がある、などと複数の説があります。どれもその詳細についてはさらなる調査と検証が必要ですね。


次回以降も、新庄亀綾織の歴史や特徴について、さらに詳しく掘り下げていきます。

ブログは全10回を予定していますが、投稿頻度は私のやる気次第になります。

また、新庄亀綾織伝承協会のホームページでは、織物の歴史をはじめ,特徴や製品についてご紹介していますので、ぜひご覧ください。

ご意見やご感想、質問などがありましたら、お気軽にコメントしていただければ幸いです。

それでは、次回のブログ投稿もお楽しみに!



<参考資料>

①      『新庄市史(1981)』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9570498/1/115

②      『織物秘伝書(西原,明治28年)』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/847784/1/41

③      『地場産業振興と行政の役割--福島県上川崎和紙産地と山形県新庄亀綾織を事例として(初沢,2007)』

④      『工芸品叢書 織物之部(明治35年)』https://dl.ndl.go.jp/pid/854126/1/25

⑤      『最上亀綾織について(宮下,S56)』

⑥      『亀綾織に関する研究報告(宮下康一,n.d.)』

⑦      『東北生活文化論文集4(1985)』https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/4422269/1/24

⑧      かめ‐あや【亀綾】広辞苑 ページ 4139 での【亀綾】単語。

⑩      『流行(11)』(1900)https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1496173/1/14 

⑪      『衣服学会雑誌 14(1/2)』(1970)https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1751944/1/10 

⑫      『風俗 : 日本風俗史学会会誌 28(3)(100)』(1989)https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2215408/1/24 

⑬      『新庄市史 第二巻』

 

(以上、第一回ブログ投稿)

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